
ハプスブルク家の紋章
最近、ツモが悪い。ツキの問題を、人類は何かのせいにしてしまう。そう、神様とかがそれだ。キリスト教徒とか何とか教の信者の方には悪いんだけど、俺は神様はいないと考えている。理由は簡単だ。見たことがないから。こう言うと、必ず「神様は見えない」とか「精神の中にある」とか言われるに決まってるんだけど、観念的なモノは観念としてしか見ない俺にとっては存在を感知できなければそれは存在しないわけだ。何だかすでに何とかっていう哲学者が言ってることを繰り返しているようだけど、哲学なんか習ったことがないので、その辺は引用とか盗作とかではないのでご勘弁を。ご指導してくれる人をいれば是非教えて欲しいんだけどね。哲学は。「我思う、故に我有り。」とか何とか、意味がわからんのだよ、俺には。
神様が万能でない証拠と俺が思ってるものを一つ。
神様が4人集まって麻雀をしたとする。どんな麻雀になるんだろうか?みんないつも聴牌できるんだろうか?麻雀の本質上、はっきりいって無理だ。ツモを変えることはイカサマに他ならないんだからそれはできないとして、全知全能を振り絞っていらっしゃったとしても、せいぜい、全然振り込まないってことくらいしかおできにならないだろ?だったらツモるお方もおられれば、最高の予知能力を持ったところで、全然聴牌できないお方もおられるわけだ。
これは別に神様はアホだとか強調して言ってるのではなくて、俺が強調して言いたいのは、人間はこれ以下のことしかできねえってことだ。え?神様が麻雀なんかなさらない??ま、外国系の神様はやんねえかもな。ましてや一神教だったら神様一人しかいねえから卓立たねえし。シャーマニズム系の神様なら打つだろ、面子揃うからさ。
とにかく、そんなちっぽけな存在である人間たる俺のツモが悪いのは、一体どうしたことなんだろう?神様にお願いすればツモがよくなるんだろうか?あるいは何とかペンダントとかしてPCに向かって麻雀すればいいんだろうか?神様が東風のツモを変えてくれるのかなあ。その辺は神様にお願いしても神様も俺を信用しないだろうし、何とかペンダントは買う金がねえので、証明はできないけど、多分ツモをよくすることは無理だろうな。
ツモを支配する者は神様じゃねえよな。これは推測に過ぎないけど、ここでは前提として聞いてくれ。じゃあ何が支配してるか?支配してる奴がいたとしてそいつの正体がわかればツモは良くなるんだろうか?
俺の考えとしては、名づけて「天」ってのがツモを支配してるんだと思う。アカギか天かの天じゃねえよ!非常に気まぐれな奴でな、こいつが。何の考えも持たずに適当にコトを起こすってんだから、どうにもなんねえよな。俺のツモが悪いのはコイツのせいだよ、多分。でも、コイツをぶん殴って脅そうにも実体がねえんだから困ったもんだ。
擬人化してるんだけど、一応天っていうのは人じゃねえからな。物質でもないな。こう言って説明してると何だか神様に近くなってくるんだけど、気まぐれ野郎を敬う気には誰もならんだろ。こんなのを神様だって言って祭壇作ってたりすると大笑いだぜ。心の中では。でも、人の精神を安定させるっていういい作用もあるんだから社会的には大切な概念だと思っている。だから、俺も「様」づけでお呼び申し上げているんだぜ。人が作ったもので人の精神を安定させたり楽にさせたりするもんって、他には副作用の強い麻薬系しかねえもんな。まったくスグれものでいらっしゃる。つまりだ、別に神様死ねとか全然思ってないので、一応神様シンパの人も気分を害さないでね!(よく考えるとあの酒鬼何とかの「ナンタラコンタラ神」みたいな発想してるな、俺って。しかし、全然危険じゃねえからな。変な映画とか見ねえし。)
あと、もう一つ言えることは、ツモが悪い以前に展開が悪いんだよな。例えばトップが35000点で俺が33000点の3着だったとする。ダントツラスのラス親ががこういうところでチョンボして飛んで終わり。。すると次の半荘勝てるって感じる人は何%いるだろうか?多分3割くらいしかいねえよ。これを何かの事故か、あるいは何もなかったかのように感じられればいいんだろうけど、マシンじゃねえ俺としてはやっぱり少し感じるものがあるよ。これで次の半荘でツモがバリバリ、全局5巡目以内でリーチ、なんて展開でもねえ限りこの記憶はなかなか払拭できん。つまり、多少いいツモが来たって、それを素直にいいツモだ受け取ることができなくなるってわけだ。天のいたずらで3巡1回入るツモが4巡1回になってみろよ、その時には俺だったら頭が腐ってしまうぜ。
というわけで、こういう時に冷静に物事を考えられるように鍛練した方がいいのかもしれないけど、鍛練すると人間性を失ってしまうみたいで俺はこういう訓練はなるだけしないようにしている。単に面倒なだけということもあるが…。では、どうするか?そう、冷静でないときは麻雀で遊ばなければいいだけのことだ。他にも遊びはたくさんある。あるいはケンに回るのも一つの手だ。俺は中学校の頃からケンの重要性を何となく感じていた。こういう時は抜けれるものなら抜けて、打ちたい奴に任せる。これが俺みたいな精神軟弱野郎には最善の手段だ。
でも、絶対に打たなけりゃならないときもある。超つまらん例で申し訳ないが、高校の頃、アガった奴が順番に夜食を食う、という半荘を闘ったことがあったんだ。田舎でコンビニもないところだったし、俺はこの時昼食も夕食も抜いて麻雀を打っていたので、腹が減って死にそうだった(俺はハラヘリ病にかかりやすいのだ。たとえ病気の時でも。)。
この時も実は勝てる気がしなくなるような展開で、トータルでも負けていた。ツモがいい感じで入ってこないのだ。そう感じてるだけなのだが、ここで食い物がかかるとかえってプレッシャーになってしまう。でも、食い物であるおにぎりは3つしかない。確率的に75%で食える。
すると、全員が俺を狙って攻撃してきた。俺に食い物を食わせないためだ。普段、この面子で勝ちまくっていた俺は目の敵にされてしまった。こういう展開になるともうだめだ。冷静に判断ができなくなる。3つのおにぎりは俺以外の3人が仲良く1個ずつ分けて食った。つまり、3人が順番にアガったのだ。俺は全くアガれず、この半荘を境に大きく負け込んだんだ。
俺は基本的に「ツキのなさ×α=冷静な判断ができないこと」と考えている。αは何十%か知らんけどな。純粋なツキなんてそうそうすごい偏り方をするわけじゃねえ。例えば、ツカねえ、と人が言った場合、それは天のいたずらが半分、気分のせいが半分ってとこだ。気分が絶好調ならば、これでも、楽な面子なら粉砕できるはずだ。でも、何か心配事があったりすると、冷静さを欠いてしまう。したがって、「いいツモ」なんて来るはずはないんだ。
これは株でも何でも勝負である以上同じ事だ。桜井章一の言葉だったと思うけど、「最初に洗面器から顔を出した奴が敗者だ。」みたいなこともあながち馬鹿にはできない。最初に冷静さを欠いてアツくなった奴が負けるのだ。アツくなったおかげで勝ったなんていうのは、それこそ天のきまぐれなす技だ。それにしても、競争が本質である事物全てにあてはまったりするんじゃねえかな、この言葉は。桜井氏は運を地運と天運に分けているけど、俺流に考えると、感じる雰囲気の問題と天のきまぐれの問題ってわけだ。(ちなみに「地運」とかの明確な定義を俺は知らない。だから、桜井氏の言うことをヒントにして言ってるんじゃねえんだ。一応言い訳っぽく言っておく。桜井氏のミーハー系信者だと思われたくないから。)
では、絶対に打たなければならない場面で気分が良くなかったらどうするのか?これは一休さん的な答えになってしまうけど、そういう場面にならないように心がける、ということしかない。最初からそういう場面を避けるべきなのだ。打たないで済む環境を作っておくべき、あるいは最低でもちょっと間をおいてから打つ展開にしたいところだ。「三十六計逃げるに如かず。」ってのはまさにこのことだ。(三十六計ってのは6つの基本戦略と6つの戦術の組み合わせだったと思う。昔は全部覚えてたけど今は忘れたぜ。)
以上、ツキがないときには俺はこんなことばかり考えてしまうのだ。情けないなあ…。
9月18日
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