monsyo
ハプスブルク家の紋章

 インフレ麻雀とは何ぞや? 



序説


 インフレ麻雀って嫌がる人とそうでない人の比率が偏ってるよな。多分、前者があまりにも多いんだろうと思うんだけどね。特にウマイ人の間でな。俺のアプローチ方法としては歴史をひも解くことから始めるってのがいつものパターンだ。麻雀の歴史って色々詳しく調べたことがあったんだ。百科事典を何種類かひっくり返したりしてね。そうしたら、超昔はまさに安い麻雀だったことがわかる。つまり全然高くならないんだ。何といっても食いピンフとかありだったみたいだし。ブーマンみたいなもんだな。点数も80点とか400点とかそういう感じだったようだ。何といってもバンバン(いわゆる場ゾロの2ハン)がついてないんだからな。

 この辺でインフレーションって何なのか?ってのをちょっと言っておこう。インフレーションてのは、「持続的な一般物価の上昇」と定義される。これは経済学上の意義なんだけど、インフレ麻雀ってのはとってもステキなネーミングだってことがよくわかる。「時の経過に伴って持続的に一般アガリ点数が上昇する」ってんだからバッチリ決まってるネーミングだ。きっと金融界あたりの雀鬼がつけたんだろうな。

 とある本で見たことがあるんだけど、バンバンがついた頃、やっぱりウマイ連中の間では「インフレだ!」なんて意見もあったらしい。しかもリーチ麻雀、ウラドラなんてのはとんでもない邪道だ、なんて語っていた連中がいたらしい。赤も同じで、赤5ピンの起源がいつごろかなんて知らねえけど、「5ピンの中に赤いドラがあるなんて麻雀じゃねえ。」と言っていた連中がやっぱりいたみたい。

 だからって、インフレ麻雀を推進しようなんて気は俺には毛頭ないんだ。現代麻雀の本質ってのは、何といっても「役がなきゃあがれない」ってことと、「ドラという特殊な牌の存在」ってことだろうからな。まして知能ゲームとして存在するためには「ドラの特殊性をなるべく限定する」ってことが必要なんだ。俺の好きな逆説的な物言いで言うと、「全部ドラだったらドラの意味がない麻雀になってしまう。」ってことだ。だからドラは存在する以上は少なくなければならない。

 そうすると裏ドラなんかも肯定できるんだよな。ウラドラってのは「あがるまで分からないドラ」なんだけど、ウラの存在理由は「場を見てればある程度予測できる」ってことだ。それじゃなかったら、はっきり言って、あがった後にサイコロ振って何ハンアップさせるか決めりゃ済むことだ。ここが重要なんだ。
 もう一つ言わせてもらえば一発ってのもほとんど同じ理由で肯定される。一発ってのは、「同巡で出ると気分がいい」ってことと、「巡目に特殊性を持たせる」ってことで、やっぱりドラの場合と同じで少なければ少ないほどいいってわけだ。ここでインフレさせるとすれば、「一発は3ハン、二発は2ハン…」ってな感じで進めればいいわけだ。これはこれで面白いけど、そうするとドラとかも釣り合いをとるために、「イトコあり」みたいなルールにしないといけないな。これじゃ競技性が薄れると思うから、俺はあんまり好きではない。違った性質の特殊なルールを、しかも限定してやるのが面白いと思うんだ。

 限定しまくった奴の例が、いわゆる「一発ウラドラなし麻雀」だろう。某競技団体で採用しているルールだ。カンドラもない。でも、結局は麻雀というゲーム自体偶然性を排除できない本質を持っているんだから、ある程度競技性を犠牲にして、エンターテイメントを追求したとしてもおかしくはないだろう。インフレ麻雀ってのは、一面、「競技性と娯楽性の対立」の中に「娯楽性の優越」を認めたってところにその意義があると思うんだけど、わけわかんねー説明になってしまった。



インフレ麻雀の楽しみ方?


 ところで本題に入ると、今まで言われてきたインフレ麻雀てのは結局、本質的にはゲームをより面白くするために点数を高くしたり特殊な役とか特殊な牌を設定してきたってことになる。ゲームってのは、いつの時代もどんなものでもインフレの傾向があるんだ。経済学でいう「価格の下方硬直性」と一緒だな。テレビゲームなんかいい例だろう?昔ブロックくずしで868点(だったっけ?)を出してクリアしたって喜んでたけど、その後インベーダーでは10000点行ったあ、なんて感じだったし、エイリアンとか、パックマンとかだともっと点数が高いんだよな。1942とかに至ってはケタを考えるようなゲームの点数だったし。
 麻雀も全く同じなんだけど、経済と同じでそろそろインフレ傾向が収まってきたかな?競技性を重視しはじめているのが時代の流れなのかも知れない。

 インフレルールに慣れるっていうのは人間の順応性が意外に悪いってことを見せられるようで面白いんだ。俺もしばらく第3で打ってたら、トップと10000点くらい離れてても、全然苦にならなかった。赤さえ入ってればマンガン手がすぐできるからねー。ところが第2に戻ってみてもしばらくこの感覚が抜けないんだ。自然と5の受けを作ってしまったりして。しかも第3でも赤には御祝儀がつくものだとばかり思ってしまい必要以上に突っ張ったりしてしまうわけだ。普段雀荘で打ってるのは御祝儀@100とかだからね。東風荘でも赤入れるならば御祝儀でR1くらいくれればいいのに、と思ってしまう。第3で5半荘くらい打ってから第1、第2に戻ってみるとよく分かるかもな。環境の変化に順応出来ない奴は頭が悪いんだって聞いたことがあるから、俺も頭悪いんだろうな。頭の悪さを試せるかもな。インフレ麻雀てのは。

 結局つまるところ、個人的な意見を言わせてもらえば、点数のインフレは楽しいのでいいのではないか。やっぱりドラ8とかアガるとそれだけでも気分がいいしな。競技性を追求しても限界があるゲームなのだから。
 中には強い人でも負けてしまう可能性が高くなるっていう考えをちょっと持ってる人もいるだろう。インフレルールになるとそれが競技性を失わせてしまうんだって。

 強い人ならば、例えば他の人に赤が6枚程度入ってたとしても、それを察知してオリるとか、やっぱり麻雀というゲームの本質が残っている限りそれなりの結果が出てくるのはないだろうかと思うんだけど。ツキに自信がないからインフレ麻雀は嫌いってんなら、その人は麻雀が弱いといえる。俺のスタンスとしては、麻雀くらいのゲームならば、ツキはみんな公平に来ているはずだから、トータルではやっぱり強い人が勝つんだろうな、点数のインフレとは関係なくって感じだ。ドラが20種類くらいあるなら別なんだが、そんなに大量にないわけで、まあ、赤くらいは限定された牌と言ってもいいだろう?

 そもそも、ツキなんて気分の問題である場合が多い。気分が悪いと打ち方もちょっとした気づかないところで悪くなったりする。そうすると受けが狭くなったり、他人にいい結果を与えたりすることになることが多い。疲れているときに負けるのと同じだと思うぞ。多分、神様が4人集まって麻雀を1万半荘くらい打ったら、10円玉を投げて表と裏がほぼ半分ずつ出るのと同じように、平たい結果が出てくるはずだから。

 インフレルールで神様3人に人間1人って場合も、人間が冷静であればきっと善戦できるはずだ。従って、普段、東風荘で普通のルールで打ってる人と第3で打ってみると、きっとその人がどのくらい感情的かわかるってもんだ。普段勝ってる人が負けてると多分、その人はより人間らしい人間、楽しい人間であるんだろう。第3行っても変わらない人は多分、精神力の強い人だから、人生でも成功する確率も高いってことだろうな。第3のリニューアルのおかげでこういうところも実は観察できる機会ができたんで、俺は大変歓迎しているわけだ。顔が見えないネット麻雀だけど、インフレ麻雀っていうのはこういう楽しみ方があるってことだ。

 それでもインフレ麻雀はやっぱり少しだけ勇気がいるよな。普通は。俺もあんまりえらそーなこと言ってると、第3あたりでコロされてしまうかも…。  

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